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DーDAY

2024年6月7日

6月6日は,80年前の1944年に連合軍がフランス・ノルマンディーの海岸に大規模な上陸作戦を決行した日です。
ノルマンディー上陸作戦は「史上最大の作戦」との邦題の映画でも有名ですが,6月6日の一日だけで16万人以上の兵士の上陸を敢行し,約5000隻の艦船,1万機以上の航空機が参加したまさに史上最も大規模な作戦であり,その成功は第二次世界大戦のヨーロッパ戦線の大きな転換点になりました。
作戦の成功の要因はアメリカを中心とした圧倒的な物量であると考えられますが,ドイツ側の判断ミスの要因もあったようです。
ドイツ軍は,連合軍が大規模な上陸作戦を企図していることは当然察知していたのですが,上陸地点としては,イギリスからの距離が約50キロメートルと最も短いフランスのパ・ド・カレーが最有力と考えており(現在も近くにユーロトンネルの入り口があります。),パ・ド・カレー付近に強固な防御陣地を構築し,強力な部隊を配置していました。
ドイツ軍は,ノルマンディーにも一定の備えをしていましたが,劇中のある将軍は,連合軍の最高指揮官(アイゼンハワー)について

 アイゼンハワーは危険を冒さない。絶対に。

と語っていますが,わざわざ危険のより大きいノルマンディーへの上陸作戦を敢行する可能性は低いと判断していました。

他方,連合軍は,ノルマンディーへの上陸作戦を6月5日に決行することにしていましたが,当日の天候が極めて悪かったことから,一日延期し,荒天が一時的に収まるとの予報にかけて6月6日,上陸作戦を敢行することにしたのでした。
この上陸作戦に先立ち,連合国側は,フランス国内のレジスタンスに向けて,24時間以内に上陸作戦を敢行することを意味する暗号(ヴェルレーヌの詩の一節)を放送しました。
ドイツ軍もその放送を傍受し,暗号の意味を正しく察知したのですが,ドイツ軍首脳は,当時の天候が悪かったため,

連合軍の攻撃は常に好天のとき,北アフリカ,シチリア,イタリア。
それにいつも早朝だ。

として,荒天時での上陸作戦はないと軽信していたため,この情報が持つ重要性を看過し,臨戦態勢を怠りました。
そして,6月6日の未明,いよいよ上陸作戦の先陣をきって米英の空挺部隊がノルマンディーの後方に落下傘等による降下をしたのですが,ドイツ軍はこれをパ・ド・カレーを急襲するための陽動作戦であると誤信しました。
映画の中では,ノルマンディーを目標とする上陸作戦が始まったらしいとする部下の進言に対し,西部方面軍司令官のルンテシュタットが

違う,私はそうは思わん。
ノルマンディーへの攻撃は陽動作戦に過ぎん。注意をそらす気だ。
敵の本当の上陸場所はこのカレーだ。
ノルマンディーに上陸するのは軍略に合わん。
常識からかけ離れている。

とつぶやいていましたが,ノルマンディーなどに上陸するはずがないとの思い込みがあったことは明らかです。

そして,連合軍は,6月6日早朝,沿岸にあるドイツ軍陣地の無力化を図るためまず艦砲射撃や航空機による攻撃を加えて,その後,大規模な上陸を開始しました。
ドイツ軍も反撃しましたが,備えが十分に整っていなかったことに加え(ロンメル元帥はノルマンディーの防御を強化して水際で上陸軍を撃退する計画を立てていたのですが,計画どおりに進まなかったとのことです。),天候が悪いため,6月初旬に連合軍が上陸作戦をしてくることはないと思い込んでいたドイツ軍は,水際での撃退の機会を逃し,反撃が後手に回り,第一波の上陸を許し,橋頭堡を構築されてフランスの解放につながってしまったのでした。

ドイツ軍は事前の情勢分析や情報を踏まえて軍事的な判断を下していたのでしょうが,思い込みにより目前に迫っている事態に的確に対応できなかったのであり,この状態を「正常性バイアス」ということも可能といえます。
正常性バイアスとは正常ではない事態が生じているのに,先入観によってそれを正常の範囲内にある事象であると判断する心理状態などと定義されます。
ノルマンディーに上陸するはずがないという思いに加え,暗号放送を傍受していたのに,悪天候時に上陸作戦をするわけがないとの判断は,正常性バイアスが働いていたとすれば説明がつくといえます。
ロンメル元帥の計画のとおり,ノルマンディーへの上陸に備えて水際で上陸を阻止するための準備が整っていたり,悪天候を突いて上陸作戦が敢行される可能性があることを踏まえて臨戦態勢をとっていれば,世界の歴史はもう少し違っていたかもしれません。
「正常性バイアス」は現在でも失敗の原因になりうるものですので,映画を見るなどして歴史から教訓を得ることも意味のあることだろうと思います。

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